日本が第二次世界大戦終戦から60年という月日を重ねた。
ただ私自身も戦争を知らない世代だから戦時・戦後の事なんて何も知らない。
だけども自衛官時代に大戦以降から続く陰湿な物を味わった経験はある。
そういった物も含めた上であえてニュートラルな気持ちと考えで書いていたのだが
どうも怪しい思想が混じっている気がするが私は「平和主義」であり「戦争反対」である。
読まれる方はそれを前提に元自衛官が何を思い何を考え何を憂うのかなるべくニュートラルな気持ちで読んで貰えたら幸いです。
今の日本は骨抜きにされ飼い慣らされた従順なモノを言わぬ民族になってしまった。
少なくとも東アジア諸国にはそういう風に見下されてるように私は感じる。
「独島は韓国領」陸自隊員と記念撮影、防衛庁が抗議陸上自衛隊のイラク派遣部隊への後方支援や訓練のため隊員が滞在しているクウェートの米軍キャンプで、韓国軍兵士が「独島(日本名・竹島)は大韓民国領です」と韓国語で書いた紙を持ち、陸自隊員と一緒に記念撮影した写真が韓国のウェブサイトに掲載されていることが分かり、防衛庁は12日、韓国軍の駐日武官を呼んで抗議した。
同庁によると、陸自隊員は撮影時、韓国語の意味を理解しておらず、韓国軍兵士のいたずらとみられる。米軍キャンプは、イラク派遣の各国軍が利用している。
こういう事をする国は完全に日本を舐めきっている。
元自衛官でありリンパックに参加したことがある私でもこういう風に他国から扱われた事はなかった。
アメリカのパールハーバーでは確かに慰霊碑に献花を供えたが厳粛な中、海上自衛官は最大の敬意を払い、アメリカもそれに答えた。
パールハーバーに滞在している間も様々な国の潜水艦や水上艦艦隊がやってきていたが一度も日本の国旗に欠礼された事は無かった。
だから私たちは敬礼には敬礼に答えてきた。
自衛隊には、正確にいうと軍隊という組織には個人的思想は禁忌である。
それは初任教育時にきっちりと叩き込まれるはずだが韓国ではそれすら徹底出来ないのであれば只の無法者集団であり軍隊となのるはおこがましいだろう。
分かりやすく言えば
「世界の軍隊に謝れ!ナポレオンの時代から完成された軍隊という組織に謝れ!」である。
世界の正常な軍隊は規律と規則でがんじがらめにされる。
だがそれは「力を持つと言うことの意味を理解するため」に必要な訳であり、力は持つが規律も規則もなく誇るべき精神が無い軍隊は無法者でしかない。
物言わぬ国、日本でも構わない。だが意志は物を言わぬ代わりに行動で示すべきであり
「モノを言わない、行動も示さない」従順なモノ言わぬ民族であってはならない。
「モノを言わず、行動を示す」のは何も自衛隊だけではなく日本国民が体現しなければならない事なのだと思うのだが戦後の日本国民は忘れてしまっている気がする。
そもそも自衛隊はその発足から「軍隊」と言えなかった。
これは誇るべき精神を持つことが出来ないと言うことなのである。
誇るべき精神が無いから自衛隊に苦し紛れの「Self Defense Force」という名前と誇るべき精神を国は与えた。
だが世界は自衛隊を「日本の軍隊」と見る。
いくら自衛官が「Self Defense Force」とを叫んでも世界は「Japanese Army」「Japanese Navy」と言う。
これは敬意なのかそれとも揶揄なのか?
私には分からないが少なくとも諸外国は「Self Defense Force」などという日本の苦し紛れの言い訳を理解し納得してはくれない。
そして自衛隊は国内の目にも常にさらされ続けた。
少なくとも私は自衛官当時、誰からも尊敬されなかった。
今でも威厳もくっそくらえな警察官でさえ自衛官よりも尊敬されている。
もちろん尊敬されたくて自衛隊に入ったわけではないが
道行く人に「税金泥棒」と呼ばれ、某団体からは「戦争賛成派」というレッテルを貼られストーキング行為を受けたり、某ピース団体はゴムボートに乗り艦船を囲んだり、基地を人間の鎖で取り囲んで叫んだりとお決まりのパフォーマンスをぶちかまされた。
制服を着て外出すれば因縁を吹っかけられたことも多々あった。(すべて実話)
そして目の敵にされ続けてきた。
だがそれでも自衛隊は健気に防衛・災害派遣・治安出動・領空侵犯対応・海外派遣等を文句も言わずに遂行してきた。
「税金泥棒なんだから当たり前だ」という人も居たが少なくともそういう事をいう人は何もしてくれない。
だが自衛官はそれを体現してきた。
すくなくとも当時の私はそれを体現してきた。
文章にすれば至極数文字程度なのだが実際にこれを体現するには血豆を作り涙を流し血のションベンを垂らす。
もちろん望んで進んだ道だが「税金泥棒」扱いをされる所以は何処にも無いはずなのに
自衛官・自衛隊は非国民のように扱われてきた。
これはベトナム戦争や冷戦時ほど酷くないモノのやはり事実今でも起こりうる問題なのである。
様々な紆余曲折を隔て私が愛した自衛隊は今でこそ不景気の煽りを受け皮肉にも人気公務員職の一つになってしまった。
だが自衛隊は国家公務員ではない。特別国家公務員なのである。
その意味も十分に理解せずに「イラク派兵は嫌だ」なんて抜かした自衛官が居たようだが今すぐその制服を返上し一般市民に戻る事を提案する。
理由や建前はどうであれ、自衛官として自衛隊に所属する以上、上からの命令は絶対でありそれを拒否する権利は自衛官には無い。
ましてや自衛官になる際に誓った言葉を忘れてしまっているのでは自衛官失格である。
話がだいぶんそれたが自衛隊は発足後一度も戦闘を行っていない。
これは「誇り」である。
それすらを専守防衛だからだと言う人や政治家の努力と言ったり
国内での私たちの行動の賜とも言う人が居るが少なくとも現時点で戦争をしたことが無い事を
今この時点、自衛官である人たちは誇りに思って欲しい。
そして私たち国民は戦争をしたことがない自衛隊を持つことを某団体などは特に意味を考えて貰えたら良いのにといつも思う。
日本が戦後から数えて60年の間に戦争をしなかったのはキチンと統率が取れ規律や規則を重んじ
守るべき誇りを持つ抑止力があったからだと言うことを。
そして不安定ながらも道を踏み外さなかったからだと言うことを。
少なくとも潜水艦乗組員になりリンパックにまで参加することが出来た私は職務経歴書に書く
「戦争をしたことのない自衛官」だった経歴は揺るがない誇りである。
さてソロソロ本当に言いたいことに話を戻そう。
戦後60年が経ち、戦争を知らない世代が自衛官になり日本という国を縁の下から支え
「Self Defense Force」なんて世界では通用しない造語と日本国旗を掲げ世界の荒波にもまれ続けている。
私の祖母が肺ガンに冒され余命幾ばくもない状態で両親を叱りつけた事があった。
「私の可愛い大切な孫をなぜ国の為に軍隊にやらなければならないのだ!」と。
もちろんその頃には軍隊などという言葉ではなく自衛隊だった。
だが祖母にすれば自衛隊も軍隊も違いは無い。確かに違いは無かった。
海軍の時代から作り上げられた精神と規律を今も脈々と受け継ぐ自衛隊はやはり軍隊と何も変わらない。
だが祖母が言いたかったのはそういう事ではなかったのではないだろうか?
「岸壁の母」や「靖国の母」や「靖国の嫁」をこれ以上増やしてはいけないという気持ちから祖母は私の両親を叱ったのだと私は思う。
戦争を経験し復興から平成へと世の移ろう中、祖母は祖母なりに必死に生きてきた。
その答えが「岸壁の母」や「靖国の母」や「靖国の嫁」をこれ以上増やしてはいけない。
と言うことだったと今になってシミジミ思う。
そういう意味では軍事力を持つことには反対したい気分になる事もある。
だが少なくとも私は軍事力は何も侵略戦争をするために存在するモノだとは思っていない。
抑止力を発揮するために存在しても良いのではないだろうか?
そして日本の自衛隊は抑止力の為に存在していると考えられないだろうか?
某国は核をかさに近隣諸国に恫喝を行い、その他の東アジア諸国は日本に未だに第二次世界大戦を盾に保証や内政干渉を行ってくる。
そういう意味では日本も経済力だけではなく、防衛力を明確に示さないとならない時代に突入してしまっているのではないだろうか?
ミサイルを撃たれても防衛することが出来なければ結果は見えている。
そしてそれを他国に頼りっぱなしになると言うことも問題ではないだろうか?
(一体どれだけの金が流れていることか)
そして少なくともこれからの日本は経済力と防衛力のバランスを取りつつも
「モノを言わない、行動も示さない」従順なモノ言わぬ民族から脱却をしなければならないではないだろうか
もちろん戦争はしてはいけない。
だがある一定の抑止力は恫喝に負けない為にも、武力行使に屈しない為にもやはり必要だろう。
そういう考えると私自身は「一身独立して一国独立する(個々人が学問を通じて独立と自由を達することこそが、国の独立につながる)事」をもう一度学び直さなければならないのではないだろうか?と思う。
